村山内閣初期に外政審議室長を勤められた谷野作太郎様の講演記録「東アジアにおける戦後の和解を考える」と、我々和解学チームとの対談をお届けします。

(以下は、実際の「報告」に、当日、時間の関係で省略したところを、後日、報告者が適宜補筆したものである)
浅野:この度は、暑い中、わざわざ、我々の研究合宿に足を運んでいただき、誠にありがとうございます。こちらとしては、戦争の記憶にどのように政府は向き合ってきたのかという観点から、村山内閣時期の平和友好交流計画や村山談話の経緯というものに基本的な関心がございます。しかし、谷野先生も和解についてお話したいことがたくさんおありということですので、まずは1時間程度話していただき、そのうえでこちらの方から質疑応答という形で受けたいと思います。和解学という新しいフレームで我々は考えてきたわけですが、和解に関わる研究者と、実務家との対話という形をベースに本日は交流させていただきたいと思っております。ではよろしくお願いいたします。
谷野:皆さん、こんにちは。昨日は安倍晋三さんが突然の退陣ということになり、今日はその翌日という歴史的な日です。いずれにせよ大変意義のある和解学の創成プロジェクトから、私のような80歳をとっくに超えた老人にお声がけをいただき、大変恐縮しております。せっかくですから簡単なレジュメを用意しました。書き始めるとあれも、これも話したいと、若干長いものになりました。本日は、まずはこれに沿って、現役の頃のことを思い出しながら話をしていきたいと思います。私の言いたい事はこのペーパーの後段にありますが、後段につなげるように、前段のことについてもお話ししたいと思います。
私の役所時代、アジアとの関わりは多々ありました。・・・
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