和解と記憶関連エセー書評

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国立公文書館の公文書管理分析官、槌谷裕司様より「日本の”戦後処理問題”と和解」が投稿されました。アジアからの請求権問題に対する国内制約要因としての戦後処理と佐藤栄作政権の位置が整理されています。

筆者 槌谷裕司(かりゆし姿)
日本の「戦後処理問題」と和解
槌谷裕司








ちばてつや作(漫画家:6歳のとき旧満州からの引揚を経験)

「引揚船は大きくてたくましく見えた(水彩画)」 出所;平和祈念展示資料館HP
筆者 槌谷裕司(かりゆし姿)



はじめに

筆者がこれまで、仕事で関係した恩給制度やシベリア抑留等の三問題、沖縄政策などの仕事は、いずれも先の大戦の戦後処理に関わるものであり、思えば「和解」が大きなテーマの一つであった。

先日、国立公文書館が所蔵する昭和最末期に制定された「平和祈念事業特別基金法」の法制局審査資料を眺めていたところ、筆者もかつて使用した「戦後処理問題に係る措置の概要」と題する説明資料や想定問答集などの一連の資料が出てきた。今となっては、当時の政府・与党関係者がこの問題についてどういう認識を共有していたのかを示す貴重な歴史公文書とも言える。

先の大戦は、言うまでもなく全国民に大きな災禍と悲惨な記憶をもたらした。主に内政に関する「戦後処理問題」と言えば、多くの人は、この戦争犠牲の救済(補償やねぎらい、名誉回復)の側面が強く意識されるであろう。たしかに、戦争被害者の利害関心を受け止めて、日本政府が行ってきた諸措置は、こうした要素が大きい。しかしながら、日本の「戦後処理」は、歴史的に見れば、同時に帝国の解体を意味し、例えば歴史認識や責任の有り様などにも深く関わる。また、敗戦、独立回復、復興、高度成長といったその後の大きな流れが、この問題に関する国民の理解や立法政策、さらには、内政の延長である外交・安全保障システムにも少なからぬ影響を及ぼしてきたものと考えられる。

以下では、日本政府がとった「戦後処理問題」に関する諸措置について、こうした歴史軸に沿って改めてながめてみることとしたい。

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